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義父をおくって4人の親が全て他界しました。 義母をおくったばかりでちょうど1年になります。 「早くお母さんの処に行きたい。」と毎日のように話していました。 義母の後を追うように行ってしまいました。 家事はなんでもできる義父でしたが義母が逝ってからは気力を無くしていました。 さすがに一人暮らしは無理でした。今年の初め 豊橋から私たちの街の介護付き有料老人ホームに連れてきました。本人も納得していましたが豊橋を離れて暮らしたことがなく、近所の人たちに支えられて暮らしてきた義父です。断腸の思いであったかもしれません。施設は、清潔で食事も満足してくれていました。全て完食していたようです。 気になることがありました。社交的な義父でしたが8ヶ月の生活で施設の友人を作ろうとしていませんでした。 義父だけでなく入居者のほとんどがそのように振舞っているようでした。 老人の心の闇を見たように感じます。 肺炎で緊急搬送されて午後から妻と交代するつもりで病院にかけつけました。呼吸が荒く苦しそうではありましたが意識がしっかりしているし、今日明日亡くなるようには見えません。寝返るたびに酸素マスクが外れます。息苦しいのか自分でマスクを外してしましまいます。繰り返し繰り返しマスクを直します。私の座る椅子の側に体を寄せます。点滴のチューブ類が引っ張られます。外れないようにチューブやモニターのコードを寄せます。義父の手を握ります。「ありがとう、ありがとう。」はいつしか呟くように「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」の繰り返しなっていきました。 義父は決めているのです。 看護師が交代の時間となって夜勤の担当者が挨拶に来てくれました。 この病棟の夜勤は1人で看護するようです。 私が帰ったらマスクやチューブは誰が直すのかと不安になります。 翌朝、7時、病院からの突然の訃報を妻が受け取りました。 昨夜の「なんまんだぶ」の意味を確信しました。 と言うより昨晩父の病室を出るときこの事態を予感していた小さな闇を抱えていました。 死すべきは死す不幸ではありません。父の意志あるいは意死であった。 看取れなかった妻は涙に悔しさを滲ませます。 まさかの出来事ですがこれからのことを考えると悲嘆にくれているわけにはいきません。 今年は暑い夏でした。義父の葬儀が決まったその週は訃報の連絡が技工士会、法人会からあわせて6件殺到していました。 その中には60歳の私の親しい歯科技工士の友人本人もいました。
by asai_d
| 2016-09-08 13:44
| 社会問題
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